【EMPTIES-sample】
目覚めは唐突だった。
どこかへ置き去りにしていた意識が、不意に戻ってきた。
けど、瞼は重くて…くっついてしまったように開かない。
そこで眼を擦ろうとして──手が動かないことに気付いた。
右手が動かない。それなら逆…と思ったのに、左手も動かない。
「……、…?」
どうやら、両腕は俺自身の背中の下だ。
まだ寝惚けた頭でぼんやりとそう意識をしたら、
重さで指先まで痺れていたことが分かった。
ジャケットも着たままで、モコモコして苦しい。
そんな格好で自分の腕を下敷きにして寝てるなんて、
器用なもんだ…なんて呑気に考えてる場合じゃない。
こんなことは今までになかった。明らかに、おかしい。
そこまで来てようやく、うっすらと頭のモヤが解け始める。
──俺は、何をしてた…?
すると、
「あ、蒼葉。起きた?」
ゆったりとした低音が耳に届く。それから、
「あぁ、ちょうど準備もこれくらいでいいだろう」
柔らかいけど、無機質な声。これって…。
──途端、心臓がドクンと跳ね、
嫌なものでも訴えるかのように早鐘を打ち始めた。
それと同時に思い出された痛みが、ズキズキと全身を襲う。
そうだ、俺は…。
「…っ!」
重い瞼を気力で無理やり抉じ開けると、
脳裏を過った通りの二人が俺を覗き込んでいた。
「おはようございます、蒼葉さん。長旅で疲れたでしょう?
ここが新しい家です。気に入ってもらえたらいいんですが」
よく見知った顔の片方──
ウイルスがにっこりと微笑んで、穏やかに首を傾げる。
「まぁ、どこでも住めば都ってね」
もう片方──トリップものんびりと呟いて口端を上げた。
「……」
なに、言ってる…?
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明らかな敵意を篭めて睨め上げても、
二人は余裕の笑みを浮かべて見下ろすだけ。
それがまた腹立たしい。
俺一人くらい、どうとでもできるんだと言われているようで。
「そういう顔もイイけど、蒼葉の違う顔も見たい」
「それじゃ、そろそろ始めようか」
「だね」
散歩にでも行こうかってくらいの口調に、本能的な危機感を覚える。
何をするつもりなのか見当も付かないけど、
どうしたってロクなことじゃないのは確実だ。
俺は逃げるために、自由になる脚を蹴り上げて反動で上半身を起こす。
ボコボコにされた時のだろう痛みが一斉に襲い掛かるけど、
そんなこと構ってられない。
そのままの勢いで、
転がされていたベッドから飛び降りて一直線に扉へ駆け寄る。
両腕は後ろ手のままでバランスは取りにくいし、
ドアノブを回すことができない。
繰り返し肩で体当たりをしても、重い扉はビクともしなかった。
それでも、逃げなければ…──早く、早く…!
「おや、まだそんな元気があるんですね。
薬が抜けてきた分、体の痛みがひどいんじゃないですか?
無理はしない方がいいと思いますけど」
「あきらめ悪いよね蒼葉」
呑気に呟きながら、悪魔たちがゆっくりと近付いてくる。
焦った様子もなく、さながら捕食を確信して獲物を追い詰める
肉食獣のようだ。その標的が、俺…。
「どんなに頑張っても、逃げられないよ?」
間近まで来て囁くトリップの声に、背中がゾクリとした。
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楽しそうに言いながら持っていた袋を開けて、
出てきたのは…──服…?
「着せてあげますね。きっと似合いますよ」
ウイルスがそれを広げ、
トリップがベッドに乗り上げて俺の肩を支え起こした。
されるがまま、二人の言う通りに体を動かす。
そうすれば、何も考えなくていい。
「最近はちゃんとお留守番も出来るようになりましたし、これはご褒美です」
「良かったね、蒼葉」
抵抗をしなくなってから、手錠がなくなった。
部屋のドアに鍵が掛かっているのかは判らない。
確認しようと思ったこともなかった。
拘束されなくなった頃には、逃げ出そうなんて思えなくなっていたから。
今度は何を思い立ったのか。
ここに連れて来られてから今まで、
一度も服なんて着せられたことがなかった。
人形には服なんて必要ない──
いや、着せ替え人形ってのもあったな、確か…。それだろうか。
コイツらが何を考えてるかなんて知らないし、知る気もない。
勝手にさせておけばいいだけだ。
だからまた、自我を手放してぼんやりする。
「はい、腕上げて」
肌触りの良いシャツに袖を通す。
下着も用意されていて、それから、膝下までのズボン。
最後に、ウイルスが襟元にリボンを結んだ。
俺の趣味からは掛け離れた上品な格好だ。
けど、趣味なんてどんなものだったか。
そんなことも頭の中を漂うだけで、今の俺には感慨も何もない。
ただ、久しぶりの布の感触が窮屈なような…
不思議な感じがしただけだった。
「どう、蒼葉? 服着たの、久しぶりっしょ」
「そうですね。ここへ連れて来てからずっとですから。
ほら、よく似合ってますよ」
二人は俺を支えて鏡の前に立たせる。
大きな鏡には、まさに人形が映っていた。
生気なんてまるでない。
正面から見ているはずなのに、視線も合わない。
そんな俺を、二人が鏡越しにじっくりと見下ろしていた。